了喜山 林昌院
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林昌院
お知らせ
林昌院の縁起
林昌院は享禄3年(1530年)大輪院日實上人開山による日蓮宗寺院で天文法華の乱以降大本山本圀寺の塔頭となりました。楠正成の末裔にあたる住職により楠が植えられていたことから「楠寺」とも呼ばれていました。今も中庭には楠が3本ありその名残を残しています。天明の大火による焼失等、これまでに幾度か改築をしてきましたが現在の伽藍は令和元年に改築いたしました。
ご朱印やお墓参りのご案内
林昌院檀信徒のお墓は妙恵会総墓所にあります。林昌院はこれまで了覚院と本喜院というお寺を引き継いできたことから了喜山と称しています。そして、了覚院にあった墓地は現在も管理しています。この墓地には九州八代城の城代であった加藤正方公とその家臣の石組の重厚なお墓があります。また、赤穂義士京都留守居役小野寺十内の妻丹とその妹いよのお墓があります。
林昌院と旧了覚院の墓地は歩いて5分程度離れた場所(岩上通五条上る)にあり、清掃や回向以外は施錠していますので、お参りのご希望につきましてはメールかお電話でご連絡いただきますようお願いいたします。
寺院の外観
山門とならぶ稲荷社
境内の正面には山門と並んで寺院の守護神の稲荷社があり、日々参詣者の祈願を受けています。
赤穂義士小野寺十内の妻丹の歌碑
旧了覚院墓地には小野寺十内の妻丹の墓があります。丹は夫の死後食を絶って自死したと言われ貞女の鏡としての誉れが高かったことから、以前は「丹女会」という遺徳を偲ぶ会もあってお参りの人が絶えなかったと言います。また、十内夫妻は和歌を京都の歌人金勝慶安に学んでいて歌人としても知られていました。松の廊下事件から切腹までの約二年間を離れて暮らしていた二人は歌を交えた手紙をやりとりして夫婦の絆を深めました。こうした歴史に共感された東京の冨岡ご夫妻により丹の歌碑寄贈の申し入れがあり、令和3年6月の命日に墓碑の近くに建立して年回法要と除幕式を行いました。
令和3年6月建立の小野寺丹の歌碑
尚、昨年(令和6年)12月1日(日)には中央義士会の主催で全国5会場で「忠臣蔵検定」が実施され、京都支部は林昌院が会場になりました。そして、試験終了後には受験者全員でお墓参りをいたしました。
一般社団法人中央義士会につきましては下記のホームページをご参照ください。
https://chuogishikai.com
年間行事
墓前回向のご案内
小野寺丹墓前回向
6月18日の命日には墓前回向を行います。
小野寺丹(左)と妹いよ(右)の墓碑
加藤正方墓前回向
9月23日の命日に墓前回向を行います。
奥右が加藤正方(加藤右馬允正方)の墓基、左が家臣の墓基。正方は八代城主加藤家の改易により京都本圀寺境内に父可重の菩提のため了覚院を建てて隠棲し、法華経信仰と茶事に勤しみました。正方の墓は逝去地広島市の妙風寺にあり、ここ隠棲の地の了覚院墓地には分骨の墓が建立されました。
林昌院へのご朱印や旧了覚院墓地へのお参り
ご朱印、お墓参り
加藤正方や小野寺丹の墓碑がある旧了覚院墓地は林昌院から歩いて5分程のところにあります。林昌院正面(左)、旧了覚院墓地の入口に立つ石碑には「赤穂義士小野寺十内妻烈婦丹女之墓」とあります。(中央)、旧了覚院の墓地は細い路地の奥にあります。(右)左手の民家は令和4年5月に取り壊され、本年(令和6年)夏に新築されました。
林昌院の境内
境内のご案内
中庭
楠寺とも呼ばれたお寺の中庭には今も3本の楠があります。
前庭(秋)
山門をくぐった境内には二本の紅葉の木があり、秋には二つの葉色のコントラストが映える密かな名所となっています。
アクセス
所在地
〒600-8357 京都市下京区猪熊通五条下る柿本町671 (075-351-6868)住職 河上正昌
アクセス方法
●電車でお越しの方
JR、近鉄で京都下車、阪急で四条大宮下車徒歩15分
●バスでお越しの方
京都駅からバス9番で堀川五条下車、6番で五条大宮下車徒歩5分
●車でお越しの方
駐車スペースが限られてますので、お車でお越しの際は事前にご連絡ください
お問い合わせ
お参り、ご朱印、お墓参りのお申込みやご質問はこちらのフォームよりお気軽にお問い合わせください。
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